講演の仕事で久しぶりに通勤満員電車に乗りました。通勤ラッシュはものすごく苦手なので、できたら避けたいのですが、新幹線の時間の都合上やむを得ない状況でした。ただせっかく乗ったのだから少し観察してみようと考えました。
いつも観察しているのは乗っている人が何をしてどんな表情をしているかということ。スマホを見るか寝ているか。一様につらそうな顔をしています。この風景を見るたびに、つらいのに毎日どうして同じことを同じように繰り返しているのだろう?別の方法はないのかな?と考えてしまいます。
身動きもできないので、ふと吊り広告に目がいきました。マンション分譲の広告です。よくある車両ごと同じもので埋め尽くしている感じのやつでした。ぱっと見は洗練されたきれいなデザインです。どこにあるんだろう?どんな内容なんだろう?と思ってさらに見ると、なんと文字が読めません。明朝体のような文字が背景と被ってますます読みづらくなっています。そのうち「もういいや」となりました。
そこで想像しました。この吊り広告はどうやって作られたのだろうと。「このマンションの魅力を表現するにはこんなデザインですよ」「色合いとしてはこんな感じです」「文字フォントはこの形がいいです」ここまで細かくやりとりをするか否かは別として、やれコンセプトとかデザイン性とかそんな会話をしたのではないかと思います。
でも肝心かなめの「見えない」「読めない」という視点が抜けています。いくらデザイン性や完成度が高くても、見えなくて読めないものはそもそも目的を果たしません。電車の吊り広告の最終チェックは実際に満員電車で広告をつけてみて、一人のお客さんになってどう見えるかを確認することにある。そんな気持ちになりました。
品質ばかりにこだわって一番重要なお客さまの目線が欠落してしまっている。身のまわりにそういうのってありませんか?シンプルに最終チェックする習慣をつけたいものです。
最終チェックはお客さまからどう見えるのか