気づき

腑に落ちる瞬間へ至るまでにはプロセスがある

ずっと思い悩んで来たけどある瞬間パッと目の前がクリアになる。そんな体験をしたことがあると思います。「腑に落ちる」っていいますよね。それってどういう状態のことをいうのでしょうか?

先日こんな出来事がありました。天職塾の定例授業が始まる前に一人のメンバーと雑談していました。「最近はどう?」と訊いてみました。すると、「ちょっと見えてきた感じがします」とそれからずっと頭の中にあることを話してくれました。

以前は「うーん、いろいろ考えているんですが、なかなかこれっというものが見つからなくて・・・」「どうしたらいいですか?」という話が多かった。でもその日は「こうしようと思ってます!」という話ばかりでした。印象的だったのは表情がとにかく晴れやかだったこと。

それまでは自分のやっていることが「これでいいのかな?」「いやちょっと違うような気がする」と一進一退を続けてきました。アドバイスしてもその時はわかったと言いながら、しばらくするとまた悩むを繰り返していました。プログラムも受講し1年以上かけて一生懸命取り組んできました。やるべき準備は全てやったという状態、にもかかわらずです。

「こないだある本を読んだんです。するとそこに「あ、これ!」ということが書かれていました。同じタイミングで以前お世話になった人と会いました。その人からひと言だけ助言してもらいました。これも後押しになりました」こんな話もしてくれました。

ちなみにこの状態はその人特有の話ではありません。多くの人がそうなります。人から教わるとか周囲から言われても、自分の中に「あ、そういうことだったんだ!」と落ちないかぎりモノにはなりません。ハッと気づけると一気に進み始めます。

シゴトとして日常的にやる焚き火。いきなり火をおこすことをやってもうまくいきません。まず森の中に入ってよく燃えそうな木や枝とか拾ってきて、拾ってきたものを仕分けして、火がつきやすいように組んで、おもむろにマッチで着火。そしてその後もずっと見守り育てていくというプロセスが必要です。

今回の話に置き換えると、1年以上にわたってやっていたことが薪拾いであり、仕分けであり、薪を組むということ。その下地があったから着火したのです。本とかその人のコメントがマッチの役割を果たしました。後はしっかり育てていくだけです。

腑に落ちるのはそのときに置かれた状況でも変わるもの。「一生懸命やっているけどなかなか先が見えないなあ」「いつ答えが見つかるんだろう?」そんな中にいるとします。でももがき続けた先には見開けた景色が待っています。

プロセスがあるから着火点がある